本日プチパニック中!
今日援助物資が到着しました、九州場末の切手商にはもったいないような無い様、どこかのオークションで受け付けてもらえそうなものが一杯、大体もし初のエンタイヤの山に出くわしてもまず95%以上は塵レベルのはず、今回送って頂いたものは完全な塵レベルはない模様、今日送られてきたエンタ類の後ろには相当量のゴミもあるはず、ある意味エキスを送って頂き恐縮です。
本日救援物資が届く前に平和紀念の11/2銭切手の使用済を目打分類、300枚くらいあったのかな?、やってもやっても減らないの、全部見終わるのに2時間以上浪費、その中に上記画像の物が、中央の4銭はもはや色が変色してしまって色だけだったらこれを11/2銭の中に放り込んでても仕方ないでしょ、多分退色でしょうけど”どうしてこんなになっちゃうの?”、初めて見ました、昨日ブログで書いた日本切手の”バラエティーの中に入れようかな”と、それが直ぐに売れるとも思えませんが枯れ木の山の賑わいです、約300枚?見てL12は3枚しかありませんでした、だとしたらカタログ評価は少し安すぎるのでは?、定変は5ピースしか出てきません、時間と労力とで費用対効果はマイナスかな?、そんなことしていたら救援物資と別の配達員さんが通販レターを持ってきました、この11/2銭を見終わってからまず援助物資を開封、余りのグレードの高い内容に昼飯食べるのも後回しに見続けました、それから通販レターを開封、8万余円分の注文用紙もやっと到着=余りに壮絶な注文内容で”これはきょう1日では調整不可能”と用紙を見ただけで匙を投げました、明日は福岡方面で会議なので水曜日に頑張るしかないですね。
上記画像は今日の援助物資の中にあった物の一部、上段左の樺太・豊原の絵葉書良いでしょ、最北の地にこんなに人がいたの?=合成写真じゃないですよね、服装も本土と変わらず・むしろ本土の田舎町よりは洗練されています、その中にある押印切手貼は契約成立したらマイコレにしましょうか、その下の”port-arthur(旅順)0”の欧文印押し、この欧文印の”0”って何でしょうね、上段右の”雪支”・”川支”押しエンタも複数、書留便もありました=書留であろうとなんであろうと”配れない物は配れない”と言うことですね、その下の小型楠公ハガキ・このハガキは使用例自体が少ない、それに検閲印が押されたの初めて見ました、この2枚兄弟カバーなのに片方は検閲印なし、検閲した方は宗教大学の記述があるので宗教色を感じて検閲したのかな?、下段・左のクリスマスカード、昭和20年代の日本でそのイベントが最早根付き始めていたのかな?、おばあちゃんがお孫さん宛かな?、おばあちゃんは東京だからクリスマスツリーが見れるでしょうけど当時の秋田の県庁所在地でもない田舎町で見られたのかな?、下段右:上のカバーはTIENTSINの欧文印が鳴美本の1年半初期使用を更新することに、その下のはがき久留米→長崎→上海、当時は外地であっても国内料金で送れたということですね、井上陽水が歌う”海の向こうは~~🎵、上海!”ですね・長崎のほぼ真西に上海があります、こんな感じのエンタがたくさんやって来ました。
今日は他にも書きたいことがあったのですが只今プチパニック中、やっていない通販処理が有ったり・明日の会議の準備もだからもう大変、今日のブログはこんな中途半端で終了しますね、明日は福岡市近郊で同業者さんと会議です、帰りも遅くなりそうなのでブログの更新はしません、また水曜日に再訪ください。
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